真説アマテラス

天照大神は太陽神で天界の支配者、日本で最も有名で尊ばれている神であり,、日本書紀では女神となっています。日本古代では、全ての事象を陰陽で当てはめる陰陽説が重んじられていました。そのなかで男=陽、女=陰とはっきり位置づけているのに、なぜ太陽神が女性であるのかという疑問が浮かんできます。世界中の神話でも女性の太陽神はいないからです。実は天照大神を祭る伊勢神宮では、はじめ天照は男神だったのですが8世紀に女神に入れ替わったのです。では誰が何の目的でそのような改ざんを行ったのでしょうか?古代史の研究者たちは、改ざんの首謀者は持統天皇(在位687〜697年)と藤原不比等で、神話の天照は持統天皇そのものだと指摘しています。

また持統のこのような強引なやり方がまかり通ったのは、中臣鎌足の子・藤原不比等の手助けがあったからです。藤原不比等は藤原氏の祖ですが、実は鎌足の子ではなく天智の子だといわれています。朝廷の不比等への優遇・後の藤原氏の発展を考えれば、おそらくそのとうりなのではないでしょうか。日本書紀の編纂に関わったのはこの不比等です。天智の死後、天武は壬申の乱で天智王統から政権を奪い取りました。そこで天武の死後、天智の娘である持統は、同じく天智の息子である不比等と組んで、天智王統の復活をもくろんだわけです。壬申の功臣があまた残り、天武系の優秀な皇子が居並んでいる中、持統が即位できる条件は、天武の遺志を引き継ぎ、天武の子や孫を即位させ続けることであったはずです。持統と不比等は血の論理では天武の王統を受け継ぐと見せておいて、観念的には天照=持統を始祖とする第二次天智王統を復活させようとしたのでした。いわば静かなクーデター、日本書紀で神の系譜が女神から始まったとすることで、そこの部分を強調しようとしたのです。

天智
天武
草壁
持統
大友
文武
○即位の順
@
A
C
B
D
壬申の乱で天武に敗れた
持統天皇は、大化の改新で有名な天智天皇(中王兄皇子)の娘であり、天智の弟(兄という説あり)天武天皇の后でもあります。天孫降臨神話のあらすじは、天照は子供を地上に送り込み支配させようとしましたが、ちょうど孫が生まれたので思い直し、孫の方を地上に降臨させるというものです。一方、持統天皇は夫・天武の死後も子・草壁皇子を即位させず空位状態にし、後に持統自身が即位、次は孫の文武天皇が継いでいます。確かにこの2つの話には共通点がありあります。
中臣(藤原)鎌足
天智天皇の参謀で乙巳の変の首謀者、正体は朝鮮(百済)の王子・豊樟という説あり。
藤原不比等
ふひと
なかのおおえのおうじ